旅行・地域

かなまら祭り(2)

かなまら祭りレポートの続きです。

まず、不思議なエリザベス御輿ですが、女装会館エリザベスというところからの寄付なのだそうです。ネットで調べて分かったのですが、御神輿の画像を拡大してみたら納得!

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交通整理をしてらした方はお仲間なんですね。

07_2 前回書いたように、御祭神はふいごの神様でもあるので、御火取祭という、火打ち石でつけた火を鞴(ふいご)で大きく起こし、その火を蝋燭に移して神様に捧げるという儀式で始まります。

 

 

その後、女の子達による巫女舞や神楽といった祭事が執り行われ、御神酒(濁り酒w)が振る舞われます。
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07_7 御輿に御霊が入ります。

また、境内では神前に供える男形と女形を大根を削って作っていました。
外国人の観光客も参加していました。
071 ちょっと危なっかしい手つき。(包丁は日本と外国では使い方が違うんですよね。)
072 こんなのを作ります。

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祭りでは、ありとあらゆるものが盛り込まれています。「とにかく楽しもう」というカラッとした江戸文化の現れでしょうか。
着物の貸し出しもしていて、外国人の人たちは大喜びでした。

 

 
07_5 愉快なテキヤのおじさん

07_10 お賽銭を上げてお参りしていたおじいちゃん。 

 

 

07_6 いなせなちびっ子

07_8 いよいよ御輿の巡行が始まります。

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境内にはこんなものもありました。

01_18 長十郎梨です。

02_12 私が子供の頃は、梨と云えば川崎生まれの長十郎でした。

今は作る農家も少なくなってしまいましたが、今は復活させようとの動きがあります。

 

かなまら祭りは毎年4月の第1日曜日に行われます。地元の人間も外国人も、おかまちゃんも分け隔て無く、笑顔の絶えないお祭りです。宜しかったらいらっしゃいませんか。

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かなまら祭り

00_1 今日、地元の金山神社のお祭りに行ってきました。家から歩いて十数分で行けるこの神社のお祭りは日本より海外で有名で、実は私も大人になるまで知らなかったのです。知ったのはオーストリアで見つけた日本のガイドブックで。ドイツ語で日本のことを説明しているので便利だと思って買ったのですが、中に観光地でもない川崎市の記事が。そこでこのお祭りを紹介していたのです。

そのお祭りの名前は「かなまら祭り」。地元の守り神である若宮八幡宮の境内社の一つ、金山神社のお祭りです。

どんなお祭りかを説明する前に、まずは御輿の画像を...

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ん?よく分かりませんか?ならば、別の御輿の画像を。

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なぜかこのピンクの御輿はエリザベスと呼ばれています。

この祭りの起源は江戸時代まで遡ります。当地は東海道の宿場町なので、古くから宿屋商店も多く栄えていましたが、そこで働く飯盛り女達が商売繁盛と梅毒予防の願掛けに、桜の咲く時期に筍やその他のご馳走を籠に盛って集まり、神社のご神体を象(かたど)ったものを担いで道を練り歩いたというのが始まりだそうです。

御祭神は金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)で、伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を生んだ際、下腹部に大火傷をしたのを、治療看護した神とされており、お産、下半身の病にご利益があると言われているそうです。また、この神は鞴(ふいご)祭の神でもあり、古くから鍛冶職人に信仰されてきました。

商売繁盛・子孫繁栄(子授け)・安産・縁結び・夫婦和合のご利益があると云われ、境内にはそれらを祈願する絵馬が数多く見られます。また近年、エイズ除けの祭りとしても有名になりました。

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絵馬の図柄は例えばこんな感じです。

_02 5匹の猿で護猿(ござる)と呼ばれるようです。

説明は英語の方が分かりやすいかも。“See no evil. Speak no evil. Hear no evil.” ここまでは「見ざる、言わざる、聞かざる」ですね。残りの2匹は“Transmit no evil. Receive no evil”。「移さず、もらわず」でしょうか。

神社で聞いた説明によると、日本ではあまり知られていなかったこの祭りが今日のように海外まで知られるようになったのは、ニューヨークタイムズ(だったかな?ちょっとうろ覚え)で紹介されたのがきっかけだそうです。

01_17 ですから、日本に住んでいる外国人にはよく知られており、この日も多くの外国人観光客が訪れていました。

05_3 ここにも外国人。
06_3 侍だそうです。

_01_1 よく分からない方もいました。

_02_1 自主的に交通整理をしてらっしゃいました。

面白いので次回に続きます。

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塩どけ地蔵

昨日は彼岸の入り。叔母一家と共に家から車で4~5分のところにある菩提寺へ墓参りに行ってきました。

この寺の境内には、子供の頃に読んだ、この地域の昔話にまつわるものがあります。

一つは骨と皮だけのような姿のお地蔵様。

昔、付近の村の子供達にできものが流行った時に、治癒を願って村人がそのお地蔵様にお清めの塩をこすりつけて祈ったところ、できものはすっかり良くなりました。その噂を聞いた人々が、でき物を治そうとこぞってお地蔵様の身体に塩をこすりつけたので、お地蔵様は次第にすり減って、今のようなお姿になってしまったそうです。お地蔵様はいつしか「塩どけ地蔵」と呼ばれるようになりました。(塩どけ地蔵のお姿はここにあります。)

もう一つは鐘楼。

今はコンクリートに固められた池になってしまいましたが、昔は鐘楼の脇に蟹がたくさん住む池がありました。

田んぼも多くあったその当時、付近に住んでいた白鷺は蟹が大好物でしたが、鐘の音が嫌いだったためにこの池には寄りつかず、蟹たちは安心して暮らしていました。ある時、近所に火事がおこり、蟹たちはこの鐘楼を守ろうと、池からぞろぞろはい出してきて、火を物ともせずに鐘楼に登り、一生懸命泡を吹いて鐘突き堂の火を消し止めました。火が収まった後にはたくさんの蟹の死骸があったそうです。その後、この池に住む蟹の甲羅は、まるで火傷を負ったように赤くなりました。

この二つのお話は、地域の民話を集めた本に「しおどけ地蔵」と「背中の赤くなった蟹」という名前で納められています。

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東京観光(おまけ)

今回、東京を一緒に観光した友達がお土産に持ってきてくれたのはデーメルのチョコレート。

そのパッケージがとてもきれいなのでご紹介します。

Demel02Demel01_1 中身はもう食べちゃいました。

 

 
デーメルはウィーンにあるケーキ屋ですが、私は初めてオーストリアに旅行した際に、ここで昼食を取りました。素敵な調度の店内は今でも良く覚えています。この時はケーキなどのお菓子は戴かなかったので、後からちょっと後悔しました。(私は左党だけど同時に甘党です。)だから、このお土産はすご~く嬉しかった。

パッケージに入っていた説明によると、正式な名称は「K.u.K. Hofzuckerbäcker DEMEL」というんですね。K.u.K(カー・ウント・カー)というのはkaiserlich und königlich(皇帝と王の)と略で、その後のHofzuckerbäckerという言葉も示しているように、王室御用達という意味です。日本には原宿に店があるのは知っていましたが、大阪にもあるんですね。ウィーン本店の優雅なカフェの様子はこちらでどうぞ。

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東京観光(No.4)

弥生町を後にして駒込にある旧古河庭園を訪れました。

02_7 この旧古河邸は、明治初期に招聘され、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドル(Josiah Conder/1852年9月28日 - 1920年6月21日)が設計したものです。コンドルの手による建物は、現在、神田にあるニコライ堂や上野不忍池近くにある旧岩崎弥太郎邸が現存しています。以前、何かで読んだのですが、イギリス出身のコンドルはフィート(約30センチ)単位で設計するも、日本人の職人達はその単位に慣れていないため、1フィートとほぼ同じ長さの1尺に置き換えて作業させたとか。このような明治時代の建築を見るとき、設計のすばらしさに目を奪われがちですが、それを造り上げたのは、西洋建築の知識がほとんどない日本の職人達だということに感動を覚えます。

この庭園は、元々、第二次伊藤内閣の外相として活躍した陸奥宗光(むつむねみつ1844年8月20日 -1897年8月24日)の別邸で、その次男が古河財閥の養子になったため、古河家の所有となったそうです。館内を見学するには、10日以上前に往復はがきで申し込み、日に数回あるツアーに参加しなくてはなりません。今回は時間に余裕がなかったため、内部を見ることはできませんでしたが、窓から内部を覗いたところを1枚撮ることができました。
02_8 ユーゲントシュティールのようで素敵ですね。

01_14 建物の裏はテラス式の洋風庭園になっています。撮影している場所の周囲はバラ園になっていますが、残念ながら、この時期は全く花はありません。花の時期にきたらさぞや見事だと思います。
階段を上ったところの両脇にある白い低い棚は、モッコウバラを這わせていました。
 

03_4 高台にあるお宅など、こんな風にしだれさせても素敵でしょうね。家のモッコウバラが咲いたときでも、もう一度訪れてみようかな。

 

この時期、洋風庭園はあまり見るものがありませんでしたが、和風庭園はその造形の美しさだけで十分楽しむことができました。

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日本庭園は、京都の庭師「植治」こと、小川治兵衛(1860~1933)の手によるものだそうです。
06_2 日本庭園内には茶室もあります。

最後に古河庭園のお土産を...

Photo_2880_1 「ばらの花羊羹」です。

 

 
中にバラの花びらを練り込んだ羊羹で、結構人気があるとか。羊羹は小倉とか黒砂糖の羊羹の方が好きなのですが、ついつい買ってしまいました。バラの香りがほのかにして、上品な甘さで美味しかったです。
「洋館みやげに羊羹」はいかがでしょうか。

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東京観光(No.3)

三日目は本郷三丁目辺りからスタートです。

本郷と言えば東京大学のキャンパスがあるところ。今まで何度か赤門の前は通り過ぎたことがあったのですが、キャンパスに入ったことは無かったので、中を散策してみました。

00東大の別名にもなっている赤門です。本郷キャンパスのある敷地は元加賀金沢前田家の上屋敷(かみやしき)であり、1877年に東京大学に移管されたそうです。

キャンパスの中には古い建物がたくさんありました。

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Photo_280キャンパスにある銀杏の古木には、乳柱と呼ばれる突起物が出ていました。 

 

 

 
この後、夏目漱石の小説から三四郎池と呼ばれるようになった池の畔を歩いてみました。想像していた池よりずっと大きくて驚きました。
元々は育徳園と名付けられた大名庭園の心字池(草書体の「心」の字をかたどった池」です。現在は庭師が手入れしている様子はなく、自然に植物が生い茂り、ビオトープのようになっています。
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安田講堂を眺めて弥生門から東大を後にしました。
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弥生門を抜けるとすぐそばにあるのが弥生美術館です。ミュージアムカフェの前は季節の花であふれていました。
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蕗谷虹児(ふきやこうじ)や高畠華宵(たかばたけかしょう)といった大正ロマンあふれる挿絵画家の作品を多数所蔵し、併設の竹久夢二美術館も素敵です。

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美術館の玄関脇

 
また、こちらのミュージアムショップも美術館オリジナルの商品があり、一筆箋やポストカードなど、どれも欲しくなってしまうものばかりです。購入したカードを何枚かご紹介します。(画像は加工してあり、絵の一部分です。)

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【左】蕗谷虹児、【中】竹久夢二、【右】高畠華宵
夢二のこの美人画はベルリン滞在中に描いたもので、ドイツ女性がモデルとか...そう言われてみれば夢二の女性にしては彫りが深いような気がしますが、ドイツ女性も夢二にかかるとこんなたおやかになるんですねぇ。
私はグスタフ・クリムトとか、こういう少女漫画みたいな絵が好きなんです。

ところで、弥生式土器というのは、ここ弥生町で発掘されたというのはご存じでしょうか。美術館の近くには石碑も建っています。
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この後は旧古河庭園に向かいます。

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東京観光(No.2)

2日目はお目当ての国立新美術館へ。
最寄り駅は千代田線乃木坂駅、日比谷線六本木駅、大江戸線六本木駅とあり、最も近いのは乃木坂駅ですが、家からは日比谷線が比較的便利なので六本木駅を利用しました。外苑東通りを、途中、右手に建設中の東京ミッドタウンを見ながら美術館へ向かいます。美術館のHPによると、4a出口から徒歩5ということですが、後から考えると15分くらいかかったようです。途中で左手に曲がり、美術館へ向かうとは思えないような細い道を歩いて行くと、いきなり国立新美術館の建物が視界に飛び込んできました。

Photo_278 設計は最近都知事選への出馬を表明した黒川紀章氏によるもので、波のように曲線を描くファサードを持つ印象的な建物です。

  

 

 

021 別の角度から見た建物です。奥に見える高層の建物は東京ミッドタウンです。

美術館入り口前の大きな庇(ひさし)を持つ建造物は傘用のロッカールームです。黒川氏の説明によると、雨の日の美術館入り口は色とりどりの傘の林で乱雑になるので、それを隠してしまいたかったのだそうです。

余計な物を置きたくないという氏の考えはロビーにも現れています。

02_4ロビーは高さ20mを超える高さの吹き抜け(アトリウム)になっており、中央にコーン状の構造物があります。その最上階はレストランになっているのですが、逆円錐形にすることで、下の面積が狭くなり、ロビーを行き交う人の導線を妨げないようになっています。

  

 

01_9 今回の目的は、現在開催中の「異邦人(エトランジェ)たちのパリ1900~2005」です。海外からパリに移り住み、ボヘミアン的な生活を送りながら創作活動をした芸術家達=エコールドパリに属する藤田 嗣治(ふじたつぐはる)やシャガール、モディリアーニなどの作品を中心に、それ以降の異邦人芸術家の作品を集めたものです。一番楽しみにしていたのは、藤田の作品ですが、私の好きなピカソのバラ色の時代に描かれた作品も観ることができ、今回の美術展に誘ってくれた友達に感謝です。

ただ、上野の美術館に慣れているせいか、この美術館の立地はちょっと不満です。上野なら、比較的リーズナブルな値段できちんとした食事が取れるし、食事だけに他の美術館に入ることもできるので、色々チョイスできるのに、ここでは近所に食べるところはなく、館内にレストランと呼べるのは最上階の店だけで、あとはファストフードのような感じ。コンビニのサンドイッチみたいなのや紙の皿のランチなのに結構高いんです。

Photo_279 最上階のレストランはと言えばこの行列。昼のメニューはコースメニューなのに100人くらい並んでいました。

 

 

 

美術鑑賞の後は神楽坂へ。

東京メトロ南北線の飯田橋駅を出て、神楽坂通りに出ると真っ先に目に飛び込んできたのが、何かと不祥事続きの不二家神楽坂店。ここにしかないペコちゃん焼き(ペコちゃんの顔になった今川焼き)を売っています。話の種に食べてみようかと思ったのですが、予約が一杯で4時間後くらいにしか買えないとか。帰り際に通ったときは売れ切れていました。ペコちゃんを応援する客がたくさんいるのでしょうね。こういうファンを二度と裏切らないであげて欲しいと思いました。

中心となる神楽坂通りは都内のどこにでもあるような商店街ですが、脇道に入って路地巡りをすると、石畳の道に料亭の黒塀と、東京には珍しい雰囲気の漂う異空間が広がります。前回も書いたように、ここは「拝啓、父上様」の舞台で、ドラマに登場する場所は、そんな路地に点在しています。ドラマを見ていないので説明はできませんが、雰囲気のある路地裏風景の画像を何点か...

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雰囲気のある黒塀

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多分ドラマに出てくる階段

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よく見ると食堂らしい...

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趣のある玄関

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ロケ地となっている路地
この旅館は山田洋次監督が執筆に利用するとか。

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赤城神社の境内
御輿が納められているのでしょうか?

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【左】主人がパンを買う間、店先でおとなしく待っていたチワワ。【中】玄関先にミニ鉢を飾っているお宅がありました。【右】今は廃業したらしい銭湯の煙突。

途中、小腹がすいたので、中華まんで有名な五十番本店に寄りました。部活帰りかなにかの中学生や近所の主婦がウィンドーに群がっていました。私は、ミニサイズの肉まんとあんまんを購入。饅頭部分が厚くてしっかりしたタイプです。花巻も作っているようなので、ここは饅頭に自信があるに違いありません。

あんこ好きの私はあんまんにはうるさくて、あんまんの餡はゴマ餡が好きなのですが、ここは普通の粒餡。肉まんとともにかなりさっぱりとした味付けで、饅頭を味わうべきものかもしれません。これはこれで満足しました。後でHPを見たら、ゴマ餡タイプも作っているらしいです。味わうことができず、ちょっと惜しいことをしました。

東京観光はまだ続きます...

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東京観光(No.1)

水曜日から金曜日まで大阪の友達Tちゃんが来ていて、二人で東京観光をしました。東京案内と言えないのは、私も初めて行く場所ばかりで、それに、東京はこの数年間に新しい地下鉄の駅が幾つもできて、あちこち移動するためには事前に調べておかないと、効率よく移動できないからです。東京近辺にお住まいの方はよくご存じでしょうけど、観光スポットの最寄り駅が幾つもあったりするので、行くときは○○線だけど、次の場所へは○○駅から乗った方がよいとか、乗り換えが可能な駅でも、乗り換えに一駅分くらい歩かされたりして、とっても複雑なのです。

今回、メインは六本木に新しくオープンした国立新美術館で、その他に友達が行きたいと行った場所は合羽橋(プロが使う調理器具を扱う店がたくさん並んでいる街)や神楽坂(かぐらざか)、北区にある旧古河庭園などで、合羽橋以外は私も行ったことがありませんでした。

ドラマを観ない私は知らなかったのですが、今、神楽坂を舞台にしたドラマをやっているのだそうですね。倉本聰脚本の「拝啓、父上様」なんですが、私は初めてこのタイトルを聞いた時、昔、萩原健一主演でやっていた「前略おふくろ様」の二番煎じ?と思ったのですが、この作品も倉本聰の原案だったようです。たまたま神楽坂に行った夜に「拝啓、父上様」をやっていたので友達と一緒に観たのですが、ストーリーは全然違うけど、主演の俳優が、心情などをまるで手紙の文面のような感じで語るモノローグなど、よく似た作りになっています。ドラマの前に観た番組で、とんねるずの石橋貴明が「前略おふくろ様」について熱く語っていたけど、私も同世代だから貴明の気持ちはよ~く分かります。あの頃のショーケン(=萩原健一)はカッコ良かったし、今は亡き室田日出男や川谷拓三、海ちゃん役の桃井かおりといった脇役が味があって好きなドラマでした。だから、つまらない二番煎じのドラマだったら作って欲しくないというのが正直な気持ちですが、きっと良いドラマなのでしょうね。今回、神楽坂に行ったのは、「拝啓、父上様」ファンの友達が行ってみたいという理由ですが、私の知らなかった東京の一面が見られてなかなか面白い散策でした。

今回の観光旅行では写真もたくさん撮ったので、おいおいご紹介しようかと思います。

友達を迎えてまず行ったのが合羽橋。友達は「お菓子の森」という店でお菓子を作る道具を色々と買い込み、私は「川崎商店」という店でステンレス製の調味料入れとパスタ用のトングを購入。

_002合羽橋には河童の像もありました。何となく、ウィーンで見たヨハン・シュトラウス像みたいです。

合羽橋の名前の由来は幾つかあるそうですが、この像の説明によると、昔、私財を投げ打ってこの土地の治水工事をした合羽屋喜八という人がいて、その意気に感じた隅田川の河童達が夜な夜な工事を手伝い、その河童の姿を見た人も運が開けて商売が繁盛したという言い伝えに由来するとか。江戸っ子が好きそうな話ですね。

その後もぶらぶらと色々な店を冷やかしながら浅草雷門へ。

_005 雷門をくぐる前にアサヒビールの通称「う○こ」ビルをパチリ。

浅草寺をお参りした後、有名な甘味処の梅むらへ行き、豆かんを戴きました。豆好きの私はふっくらつややかな赤エンドウに大満足。

その後、伝法院通りを通ってオレンジ通り商店街に出ると浅草公会堂の前へ。ここには芸能人の手形があります。

 

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オレンジ通りを雷門通りに向かって進むと満願堂があります。ここの芋きんはとっても美味しいので浅草土産にお勧めです。賞味期限は24時間となっているようですが、翌日、オーブントースターでちょっと温めると表面がカリッとして、また別の美味しさがあります。もちろんお土産に芋きんを買って川崎へ。

家に帰る前に、昨年オープンしたショッピングセンターLazona(ラゾーナ)へ。ここは何度も行っているのに、広い上に複雑な形をしているので、まだ見たことがない店や、二度と見つからない店があるほどです。今回はまだ行ったことがなかった屋上緑地に行ってみました。

_014 ここには何故か、出雲大社の分社があるのです。この場所には以前、東芝の工場があったのですが、その東芝の敷地内にあった分社を屋上に移設したそうです。社以外は近代的な造りですが、周りは池になっていて金魚も泳いでいます。この金魚も東芝で飼われていたものだそうです。

ライトアップされた神社はちょっと幻想的な雰囲気でした。

 

もう少し川崎のご紹介を...。

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ここは別の日に入ったのですが、Citta Della(チッタ・デッラ)というところで、所謂シネコンなのですが、テラコッタの壁や石畳、噴水と、イタリアンな雰囲気で人気のスポットです。画像は中央の広場で、正面の建物と周囲の建物とは回廊で結ばれていて、最上階には小さなチャペルがあって結婚式を挙げられるようになっています。

 

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チッタ・デッラとは「城壁に囲まれた小さな街」という意味だそうで、螺旋状になった通路を上っていくと抜け道があったり泉があったりと、作り物ながらイタリアの街並みの雰囲気がなかなかよく出ています。

シネコンはチネ・チッタという名ですが、知る人ぞ知る、観客動員数では四年連続日本一なんですよ。

もう一つ、ちょっと変わったものを...。

 

_077 たった五段しかないエスカレーター、「プチカレーター」。ギネスブックにも載りました。

 

 

 

次回は神楽坂の紹介をする予定ですが、PCの調子が悪く、再インストールをしなくてはならなくなりました。PC自体はすぐに使えるようになるとは思いますが、色々と設定をしなくてはならないので、しばらくブログはお休みです。(と言っても、そんなに頻繁にUPしているわけではないですが...。)

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思い出の風景-ライン村(完)-

ライン村での3日目はいよいよホテルの娘さんの結婚式です。家族や親戚、それに村の人以外にも宿泊客も自由に参加できるというので、とても楽しみにしていました。参列者には手作りのコサージュが配られ、旅の簡素な服装でしたが、ちょっぴり華やかになりました。

式は坂をちょっと下った、しかし村の高台にある教会で行われます。本来は歩いて行くのでしょうが、あいにくの雨模様だったので歩いても2分ほどの距離を新郎新婦は車で行きました。出発するとすぐ、魔女のような仮装をした人が出てきて、車を妨害しました。何を言っているのかは全く分かりませんでしたが、その魔女(?)と新郎新婦は大声で何やら問答をしたあと、ようやく車が進むことを許されたようです。これは村に伝わる風習なのでしょうか?残念ながら、未だにそれは謎です。

教会での式は非常に簡素なものでした。ドイツ人男性(多分、新婦の従兄弟だったと思います)が、祝福のスピーチをしている間に帽子が回ってきて、皆、心ばかりのご祝儀を入れて隣りへ送っているようなので、私も少しのリラ札を入れました。ホテルに戻るとレストランでは既にパーティの準備ができていて、その一角に、プレゼントやお祝いのカードを置くテーブルがありました。私も前日に近所のスーパー(よろず屋みたいな感じです)で買ったカードにメッセージを書いて用意していたので、その隅に置きました。帰国してしばらくして、2人からのお礼状が届きました。

レストランでの披露パーティは、民族衣装を着た少年達が楽器を演奏したり、ダンスをしたりと、チロル風の雰囲気でした。私は1時間ほど楽しんだあと、ドレスデンに帰るというドイツ人ご夫婦の車でインスブルックまで送ってもらいました。実はこれも、ホテルの奥さんが、このご夫婦に頼んでくれたものでした。インスブルックからドレスデンまでは未だ相当距離があると思ったので、取り敢えず市内に入ったところでお礼を言って降ろして貰い、でも、ここがどこなのか全く分からないので、とにかくホテルに電話しようと、近くにあったガソリンスタンドに行きました。オーストリアやドイツのガソリンスタンドはコンビニのような店が併設されているので、ここなら電話が掛けられると思ったからです。電話を使いたいと言うと、公衆電話ではなく、店の普通の電話を使っていいと言われました。

ホテルには大きな荷物も預かって貰っていたのですが、戻ると告げてある日は翌日でした。シャワーだけの予備の部屋なら空いていると言うことでしたが、もちろん贅沢は言えないのでその部屋を確保して貰い、次にガソリンスタンドの人にタクシーを呼びたいと言うと、横で私のたどたどしいドイツ語を聞いていたからでしょうか、代わりにタクシー会社に電話を掛けてくれました。結局、そのガソリンスタンドの人は電話代を受け取ってくれませんでした。

こうして私のライン村での夢のような3日間は終わりました。こうして思い出を綴っているだけで、かぐわしいアルプの香りが漂ってくるような気がします。

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思い出の風景-ライン村(3)-

部屋は広く快適で、バルコニーもあり、窓からホーホガルも眺められるものでした。荷物を片付け、一休みしていると、フロントにいたこの宿の奥さんが来ました。ほとんど分からなかったのですが、どうやら、下に降りていらっしゃいといっているようだったので一階のレストランに行くと、この家の親戚だという若いドイツ人男性がガールフレンドと一緒にいました。彼らと英語で話して分かったのは、2日後にこの家の娘さんが結婚式を挙げるので滞在しているとのことでした。話している内に気が付いたのですが、何故、こんなところに“若い”(←彼らが言っていた言葉です。念のため。)日本人女性が、しかも一人で来たのか、不思議に思って、彼らに理由を聞き出させようとしていたようです。

そこで、この村のことは本で知ったこと、一人の日本人が「天国」とまで呼んだこの南チロルを訪れてみたかったことなどを話し、あとは他愛もないおしゃべりをしました。面白かったのはこのガールフレンドで、いつか日本に行ってKOOKAI(クーカイ/ファッションブランド)でショッピングをしたい(たしか実際はフランスのブランド)とか、資生堂の化粧品に憧れるけどドイツでは高いとかと、日本にもいるような若い女の子でした。私のことを実際よりも10才くらい若いと思っていたようで、実際の年齢を知ると、「どこのクリーム使ってるの?」と聞かれたので、(実際は違いますが)「資生堂」と答えると、「やっぱり、資生堂じゃなくちゃダメね!」などとため息をついていました。この後、彼が散歩に連れだしてくれましたが、彼女は自然にはまったく興味はないようでした。村を一回りしている途中に何件かの親戚の家を訪ね、軽食や飲み物をご馳走になったりしました。私は気ままな一人旅が好きなのは、こういった思いがけない経験をできるからですが、時々、誰かと一緒なら、この楽しさを分けてあげられるのに、とも思います。

ここでは2食付き(ドイツ語でHalbpension/ハルプペンジォーンと言います。スイスなどの山の宿ではよくあるシステムで、いちいち食事のために外出しなくてもいいし、値段も安いので覚えておくといいかと思います。)でした。テーブルはくだんのドイツ人達と彼のご両親と一緒にしてくれていました。ここでは、シールに名前を書くように言われ、よくわからないままサインペンで自分の名前を書くと、それをナプキン入れに貼るように言われました。これは、滞在中、自分のナプキンを何度も使うためで、部屋のタオルも滞在中は同じものを使います。これは山の宿の流儀だそうで、生活用水が貴重だから洗濯の水を節約するためだと佐貫氏の本で読んで知っていました。

夕飯後、他の滞在客が自室に戻る時間になっても私は引き留められ、2日後の結婚式の披露パーティに飾る紙の花(よく運動会などで飾りに使う薄紙で作る花飾り)を一緒に作ったりしながら、皆さんとワインを飲みました。そこでもう一度、私がここに来たきっかけを説明して欲しいと求められ、私が英語で話すのをドイツ人の男性がドイツ語に通訳してくれました。

ここで面白いことがありました。佐貫氏が定宿としていたペンションには男の子がいたのですが、本の中で、12才くらいの彼を「ハンサムだから、将来、女性にもてるだろう」などと書いてあったと話すと、それなら、本当にハンサムになったかどうか見て貰うために、ここに呼ぼうと、ご主人がその家に電話をかけたのでした。結局、彼は不在でしたが、ドイツ人男性が、ホテルの娘さんに、「彼は今ハンサム?」と聞くと、「そうでもないわよ」などと答えていました。この男の子の名前はヒンツペーター君というのですが、ラインを再訪したときに、たまたまこのホテルでお茶を飲んでいたところを、奥さんが紹介してくれました。(確かに、なかなかのハンサム君になっていました。)

翌日は一人でハイキングに出かけました。晩秋のこの時期は、黄葉した針葉樹が青空に映えて美しいのですが、花の季節には遅いのか、あまり見かけませんでした。唯一、頻繁に見かけたのは、銀アザミ(独語:Silberdistel、日本語ではチャボアザミと言うようです)で、白っぽくカサカサした感じの花が、あっけらかんと上を向いて、直接地面から咲いているように見えます。この辺りは夏は放牧地のはずですが、岩がむき出しになっているところも多く、ここで牧畜を生業とするには、苦労も多いだろうと思いました。銀アザミも、スイスの青々とした牧草地で見ると、もう少し茎が伸びているのですが、ここではまるで、花が地面に落ちているようです。ところで、ヨーロッパアルプスでは、多少種類は違うのでしょうが、日本の山野草に詳しい人なら見覚えのある植物をよく見かけます。イタリアアルプスのドロミテではトリカブト(独語では鉄兜〔Eisenhut〕と呼びます)がたくさん咲いていましたし、スイスではヤナギランの群生を見ました。私はあまり体力がなく、山登りは苦手なのですが、ヨーロッパでは体力に応じてケーブルカーやロープウェイで簡単に山上のお花畑に行けるので助かります。

オーストリアとの国境で、今では国境警備兵もいない静かな牧草地を見届けただけで、満足してホテルに引き返しました。

ホテルに戻って奥さんに挨拶すると、「何か飲みたいものはある?」と言ってくれたので、ミネラルウォーターをいただきました。この後、奥さんはいつも、私が夕方戻ると飲み物を出してくれ、別の機会に滞在した時は、これからドロミテに向かう私にお弁当を持たせてくれました。とても気配りのある方で、クリスマスカードなどは、いつも美しい切手を貼ってくれます。去年、やはり佐貫亦男氏の本のファンである知人が、氏の足跡を辿る旅をしたとき、私がこのホテルを予約して差し上げました。レンタカーを使うとのことだったので、小振りの徳利とお猪口のセットを私の変わりに手渡して欲しいと託しました。すぐに飾ってくれたそうですが、いつか自分でそれを見に行きたいと思っています。

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