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思い出の風景-ライン村(1)-

イタリアでドイツ語を話して生活している人達がいるのをご存知ですか?

イタリアの北にあって、オーストリアに突き出るような形の地域は南チロルはと呼ばれ、ここに住む人々は、日常生活ではドイツ語を話しています。というのも、第一次世界大戦まではオーストリア(ハプスブルク家の統治していたオーストリア-ハンガリー二重帝国)の一部だったからです。ハプスブルク家の統治下に入る前はチロルという伯爵領だったので、今では、分割されたチロルの内、東チロルと本チロルがオーストリアに残った形になっています。このことは、以前、『思い出の風景-チロル(1)-』に書き、この南チロルを訪れた時の思い出を書くつもりでいたのですが、だいぶ時間が経ってしまいました。ですから、今日のブログは『思い出の風景-チロル(2)-』にあたります。

佐貫亦男氏のエッセイに誘発されて、この地を旅したと書きましたが、実は旅するまでが大変でした。氏のエッセイにはほとんど詳しい地図が載ってなく、確か、ライン村へも最寄りの駅からタクシーで行ったと書かれていたと思います。また、ラインというのはドイツ語表記の発音で、イタリア語ではどう表記するのか、まったく分かりませんでした。オーストリアのヒンタービッヒルという村から眺めたホッホガールという山の反対側を見たくて旅したというのを手がかりに、イタリア全土の地図を目を皿のようにして見て、ようやくライン村のある場所を見つけました。そして、最寄り駅(ブルネック/伊語:ブルニコ)からはバスで行けるということも分かりましたが、当時はドイツ語も独学で学んだだけで、カタコトしか話せないし、ましてやイタリア語も分からないので、インターネットでバスの路線図を見つけるのも一苦労。でも、取り敢えず行けるところまで行ってみようと、インスブルックから電車を乗り継いでブルネックに行き、バスでザントという村まで行きました。ここはライン村へ向かうバスとアーン谷の奥へ行くバスのターミナルになっている比較的大きな村で、ツーリスト・インフォメーションもあったので、その日はひとまずここに泊まり、情報を集めることにしました。そこで分かったのは、10月も後半でシーズンオフなので、ライン村に十数件ある宿が交代で営業をしているということで、これで安心してザントに泊まることができました。ツーリストインフォメーションでホテルリストや地図をもらい、宿を紹介して貰って一息ついてから、村を散歩して、その日は終わりました。

翌日は、いよいよバスに乗ってライン村へと向かいます。

Photo_131  ここで、先にライン村の風景をご紹介します。(写真はいっぱい撮ったのですが、デジタル化してないため、上のリンクはツーリズムのHPです。)

フレームを使っていて、直接URLを指定できないので、右上の「Location」というメニューから「TV Sand in Taufers」(サブメニュー)→「Rein in Taufers」をクリックしてみて下さい。右の画像には「TV Sand in Taufers」は映っていません。ライン村のページでは、数枚のスライドが自動的に表示されます。

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