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思い出の風景-チロル(No.1)-

チロルという言葉を耳にしたとき、どんなイメージを抱くでしょうか?

谷間に広がるアルプ(高原の牧草地)やのんびりと草を食む牛、可愛らしい民族衣装を着た人達...かな?

では、どの国を思い浮かべるでしょうか?

多くの方はオーストリアを思い浮かべると思います。私もそうでした。佐貫亦男(さぬきまたお)氏の著書を読むまでは。佐貫氏は工学博士としての技術的な著書も多数出版されていますが、そういったことには門外漢の私にとって、面白く読んだのは辛口の旅のエッセーです。戦前に技術研修でドイツに滞在され、他にも数カ国語に堪能だった氏は、持ち前の好奇心と探求心で、スイスのすべての谷を訪れたあと、晩年はチロルをこよなく愛し、毎年のようにイタリアのラインという村を訪ねていらっしゃいました。そうなんです。イタリアにもチロルはあるのです。

元々、チロルはマインハルト家の治める伯爵領として独立していましたが、紆余曲折があって、1363年にハプスブルク家の実質的な領土となりました。 

(この辺りの話は『ハプスブルク一千年』(新潮文庫/中丸明著)を読むと、面白く書かれています。) 

この状態は第一次世界大戦でオーストリアが破れるまで続き、1991年、締結された平和条約に基づき、チロルの一部がイタリアに割譲され、南チロルと呼ばれるようになりました

だから、かつてオーストリアに属していていたこの地域では、今でもドイツ語が話され、地名などの表記もドイツ語とイタリア語が並記されています。

私は、佐貫氏が「私の天国」とまで呼んだチロルを見てみたくなり、1999年に初めて、イタリア領となっている南チロル訪れました。この時のエピソードは、また、別の機会に書きたいと思いますが、オーストリアのチロルに住む人も、イタリアのチロルに住む人も、ドイツ語で会話していたせいかも知れませんが、「私達、チロル人は...」と、言うことが印象的でした。一方、オーストリアで立ち話をした、ミラノから来たという男性は、「彼ら(南チロルの住人)は、イタリア語を話すべきだ。」と、怒ったような口調で話していたのが印象に残っています。

私などは、日本人であることが当たり前すぎて、普段あまり、民族とか領土とか意識しないのですが、他の国、例えばヨーロッパなどへ旅行し、歴史を少しでも学ぶと、色々なことを考えさせられます。

02_2 オーストリアとイタリア国境付近で出会ったマーモット。
無邪気な顔で、こちらを見上げていました。

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